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エイプリルのたわごと

本や映画が好きな派遣社員兼アルバイターが書いています。

ほんとうはしたいこと

 

突然ですが、無性に人に本をあげたくなる瞬間、ありませんか?

 

「最終的には教師になりたい。就職活動と並行して教育実習もいったから資格はもっている。」といっていた青年がいました。ふつうなら「たぶん最終的にはしないんじゃないかなあ、今の業界とかけはなれすぎているよ」と思うが、たぶんこの人は今持っているいろんなものに感謝しつつ、さらりと次のステージにむかう人なんだろうなと、そういう気がしました。

 

彼は小学生のころから世間が社会主義になればいいのに、と思っていたとか、ふつうとはちょっとちがうなというエピソードがいくつかある、そういう感じの青年。

 

話していて「へえ、なるほどな」と思ったことのある人というのは、は記憶にのこりやすかったします。

 

先日読んでいた本に、その青年の今の仕事と、教師という未来の仕事を関連づけるような一行があり、共通点のとても少なそうに思える職業どうしなだけに、その内容はもしろく、例の青年に伝えたいなと思いました。

 

たとえばこういうとき、たまらなくこの本をあげたくなります。

 

・記憶にのこっている人がいる

・話した内容を覚えている

・その内容に「なるほど」「すごいな」「がんばってほしいな」などなにかしら思った

 

あたまの片隅にある情報が、目の前の文章によって、ひょいとひっぱり出される瞬間、これはわかる人にはわかると思いますが、結構快感です。でも結局はその本が彼の手元にわたることはなく、自分の中の盛り上がりで終わります。

 

 

そもそも本をプレゼントする行為はどういうことなんでしょう。

 

それは、「本心の交換」みたいなことだと思います。

 

贈られる側が、その本を読んでみたところで、「おお、これは自分にぴったりだ」と思うかどうかはわかりません。あくまでも、「贈る側が思い描いている贈られる側にはぴったりくる」であろうという想像の中の思いつきからスタートします。

 

つまり、「私がおもっているあなたはこういう人だと思う。この本の内容はそんなあなたにぴったり。だから読んで見て。」という、「自分の中のあなたの印象」をさらけ出して、相手に伝えることになるのかなと思います。

 

そういえば、本心から発生する行動、判断は日常茶飯事ですが、直接本心を伝える機会は少ないですね。いきなり「私あなたってこういう人だと思うんだよね、だから○×○○×○○○と思うの、ハイこれ♪」みたいに言われることって、そうそうない。

 

ポジティブに受け取ってくれるかどうかは人によっちゃうんでしょうが、贈られる側は、まずはやっぱりびっくりするでしょうね。

 

「本心の交換」といいましたが、贈られる側があまりポジティブなきもちをもてなかった場合、「本心の押し付け」という結果になってしまうかもしれないですね。

 

 

なぜできないのか考えてみました。 

 

理由を考えていると、大きくわけて2つのことが関連しているなあと思います。

 

1つめは本という媒体の特性上、メッセージが複雑になってしまうことから発生すること。たとえば紅茶が好きな人には、茶葉、紅茶味のケーキなど、派生しても茶器とか?

シンプルですよね。本だとそうはいかない。1つのテーマを伝えている本だったとしても、そこに行き着くまでにいくつもの事例や背景、著者の意見があって、その要素を絡め合わせた上で、メッセージが成り立っているわけですから。それに、読み手によって響く箇所も千差万別。同じ人だって読むときがちがえば感じ方もちがうくらい重層的なもの、それが本という媒体だとおもいます。

 

もう1つは時間に対する意識から発生してしまうこと。働いている人であれば、多かれ少なかれ、時間に対するコスト意識はあると思います。自分の時間をつくりだすための必死さは、多くの人が経験済みだと思います。そういったことへの配慮というのか、気兼ねというのか、その点の意識はやっぱりあります。

 

 

ほんとうは人に本をあげてみたいけれどできない理由はこんなかんじ

 

 

①その人の「時間」を奪うことにならないかという気兼ね

本を「あげる」という行為は、同時に「読む」ことを半強制ですよね。読んでもらわないとはじまらない。そもそも本を読むのが苦手なひともいるし、そのために時間をさけない人もたくさんいるでしょう。人からもらったものだから読んだ方がいいような気がしてしまうのが人間というもの。自分は本好きなので、全然苦にならないですが、そうでない人にとっては、時間を捻出するだけでも大変なのではないかな、とおもってしまいます。 

 

②生活習慣に踏み入ってしまうことへの気兼ね

これは①とにていますね。家族以外で長い時間ともにすごすのは、職場の人になると思いますが、人の生活習慣て、意外としらない。ましてやその人が普段本を読む習慣があるのかないのか、ぜんぜんしらない。

  

③時間をさいて読んでもらった結果、なにも得るものがない、かもしれない

これがもっともインパクトありますね。 。最初のほうにも書きましたが、本をプレゼントするという行為はあくまでも、「贈る側が思い描いている贈られる側にはぴったりくる」であろうという想像の中の思いつきからスタートするわけなので。

 

そして、いまふと思いましたが、理由①〜③によって、「デリカシーのない人」「おしつけがましい人」そんな風に思われたくないだけなのかもしれないですね。 

 

 

 

 

自分だともらったらうれしいけど、人はどう思うんだろう。