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エイプリルのたわごと

本や映画が好きな派遣社員兼アルバイターが書いています。

ぼくらはいつだって二重思考

読んでいた『一九八四年』を一旦おいて、虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)を読了。今からから映画をみてきます。

(ぜんぜん関係ないけど、TOHOシネマズ日本橋って、レイトショー割引ないんだね・・)

 

ネタバレになりそうなのであまり詳しくいえないけど、主人公の母に対する懺悔感が、似ていて、途中なんとなく頭がごっちゃになりました。

 

そんなごっちゃになりながら、ふとおもったこと。

最近、特にトランプが大統領にきまってから『一九八四年』の世界が、物語の枠をこえて現実化してる・・!っていう風潮があるとおもってて(それで再びベストセラーになってたりするって流れかと。)、たしかにわかるなあ、ふむふむと思いながら読んでいたわけなんだが、この本にでてくる「二重思考」。

 

ウィキペディアで検索すると

「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」 

 とでてくる。

 

「二重思考を用いて、自分、他人をうまくコントロールし、あるべき姿へ誘導する」みたいなかんじでつかわれている。

素直に読み進めていると、これは危険な考え方だなー、と思ったりするわけなんですが。

 

 

でもよく考えてると、自分もこういうことはごく日常的に行なっていたりする。しませんか?私だけでしょうか。

 

 

 

たとえば。

 

・自分が使ったこともなく、いいとも思っていない商品を何万点と売るために寝食削りながらはたらく。

(営業しかり、広告しかり)

 

とか。

 

 

①なんの愛着もない商品があり、この商品を世の中にひろめる必要性を感じていない自分

 

 

がいる一方で、

 

 

②この商品はとてもよい商品で、ぜひ、みんなにつかってほしい。どうすればこの良さがみんなに伝わるのか。

 

 

と必死で考える自分がいる。

 

 

 

 

 

これも一種の二重思考なのかも、と。

 

 

 

 

①だけ追求できる人は、ごくごく限られた人間で、多くの人は生活のためにと割り切ってサクサク働かなきゃいけないわけです。たいていの人は①と②両方の板挟みを感じて、悩んでしまうこともあるだろうし。なんでもそりゃ思い通りにはいかないわけですが。

 

 

ただ、二重思考というものは、自分で自分を守るために自ら発動させてる場合もあるんだな、そしてそれはごくごく身近にあるもんだな、と思いました。

 

 

っていうか自分の場合、いつだって自分を正当化できるもう一つの視点を探しているような気がします。